2011/07/26
Jason Williams、9月来日
彼がAND1主催のSTREET2ELITE Ⅱに正式に出場が決まったようです。
ファンは待ち遠しいこと間違いなし!私も一目見たかったですが9月はどうも予定が合わなそうで...シクシク。
J-Willと動画検索すればキングス・グリズリーズ・ヒート・マジック、
いずれかのハイライトmix動画がヒットすることでしょう。
個人的には初期のトリッキーなパスも後期の安定したプレイもすべて好きです。
(ちなみに彼のレイアップフェチという)
バスケットに詳しくなくてもジョーダンやアイバーソン、コービーを知るように
J-Willももっと著名になって欲しい私でした。この来日を機会に伝説を残してくれる事を期待しています。
頑張れJ-Will!
以下引用:
"魔術師"ジェイソン・ウィリアムスが12年ぶりに来日!
ホワイトチョコレート、白い魔術師、ジェイウィルなど様々な愛称で親しまれた元NBAのスター選手、ジェイソン・チャンドラー・ウィリアムスが、今年9月に日本のファンの前に再び姿を現す。
5月に引退したばかりの同選手は、9月に行われるストリートボールの一大イベント、AND1 PRESENTS STREET2ELITE Ⅱに参加。9月14日の大阪公演、9月17日の東京公演に参戦する。
ジェイソン・ウィリアムスと言えば、1998年にドラフト1巡目全体7位でサクラメント・キングスに入団し、トリッキーなパスでNBAファンを魅了したスタープレーヤー。当時低迷していたキングスをクリス・ウェバー、ブラデ・ディバッツらと共に建て直し、チームの躍進に一役買った。2000年のルーキーオールスターで見せたエルボー・パスは、未だ伝説のプレーとして記憶に新しく、今なお彼のプレーに魅了されている日本人選手も少なくない。
ジェイソン・ウィリアムスにとっては、1999年に行われたNBAのジャパンゲーム以来となる来日。12年ぶりに踏む日本のコートで繰り出される魔法のようなプレーが注目される。
引用終わり
http://www.wowow.co.jp/sports/nba/news/detail_110726_03.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110726-00000310-ism-spo
ラベル:
NBA
2011/07/19
ロックアウトを機に
海外に飛び立とうという選手が増えているようです。うーん仕方ないですよねぇ。
D・ウィリアムス、ドワイト・ハワード、コービーとスター選手がそろって海外に興味を示しているこの感じ、
NBAのイザコザが人気の低迷に繋がらなければいいですが・・・不安でございます。
まさかロックアウトでNBAニュースがここまで減るとは思っていませんでした。
youtubeも偉大な選手の動画ばっかりになってますし飽き始める始末。早く解決しますように。
以下引用:
【NBA】コービーのトルコ移籍に待った?
先日、オールスターガードのデロン・ウィリアムス(ニュージャージー・ネッツ)と契約したトルコのベシクタシュ。ロサンゼルス・レイカーズのスーパースター、コービー・ブライアントも獲得するのではと話題になっていたが、ベシクタシュはコービー獲得を一旦保留したようだ。海外の報道としてスポーツ専門サイト『ESPN.com』が現地18日に伝えた。
同サイトによると、トルコのサッカーリーグで起きた八百長疑惑を巡り、ベシクタシュのバスケットボール部門の資金が凍結されたとのこと。この結果、ベシクタシュはNBA選手とさらに契約を結ぶためにはスポンサーを探さざるを得ない状況に陥っているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000312-ism-spo
【NBA】マジックD.ハワードも海外移籍検討「選手として成長したい」
オーランド・マジックの大黒柱であるドワイト・ハワードが現地18日、ロックアウトが解除されない場合、海外でプレーする可能性を示唆した。
同日、自身主催のバスケットボール・チャリティーイベントに参加したハワードは、NBAのロックアウトに不満を感じており、この状態が続くようであれば中国かヨーロッパでのプレーを真剣に考えるとコメント。「僕は話す立場にないんだ」とし、海外のチームとの交渉については言及を避けたが、中国など海外でプレーですることは自分にとって大きなチャンスになると積極的な姿勢を見せている。
大物選手としては、先日、ニュージャージー・ネッツのガード、デロン・ウィリアムスがトルコのベシクタシュと正式に契約。その際にウィリアムスは、ハワードが中国でプレーしたら世界的なスターになれるだろうとコメントした。マジックの2009年ファイナル進出に貢献したオールスター5回出場のハワードも、そのことについては異論はない様子だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000311-ism-spo
D・ウィリアムス、ドワイト・ハワード、コービーとスター選手がそろって海外に興味を示しているこの感じ、
NBAのイザコザが人気の低迷に繋がらなければいいですが・・・不安でございます。
まさかロックアウトでNBAニュースがここまで減るとは思っていませんでした。
youtubeも偉大な選手の動画ばっかりになってますし飽き始める始末。早く解決しますように。
以下引用:
【NBA】コービーのトルコ移籍に待った?
先日、オールスターガードのデロン・ウィリアムス(ニュージャージー・ネッツ)と契約したトルコのベシクタシュ。ロサンゼルス・レイカーズのスーパースター、コービー・ブライアントも獲得するのではと話題になっていたが、ベシクタシュはコービー獲得を一旦保留したようだ。海外の報道としてスポーツ専門サイト『ESPN.com』が現地18日に伝えた。
同サイトによると、トルコのサッカーリーグで起きた八百長疑惑を巡り、ベシクタシュのバスケットボール部門の資金が凍結されたとのこと。この結果、ベシクタシュはNBA選手とさらに契約を結ぶためにはスポンサーを探さざるを得ない状況に陥っているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000312-ism-spo
【NBA】マジックD.ハワードも海外移籍検討「選手として成長したい」
オーランド・マジックの大黒柱であるドワイト・ハワードが現地18日、ロックアウトが解除されない場合、海外でプレーする可能性を示唆した。
同日、自身主催のバスケットボール・チャリティーイベントに参加したハワードは、NBAのロックアウトに不満を感じており、この状態が続くようであれば中国かヨーロッパでのプレーを真剣に考えるとコメント。「僕は話す立場にないんだ」とし、海外のチームとの交渉については言及を避けたが、中国など海外でプレーですることは自分にとって大きなチャンスになると積極的な姿勢を見せている。
大物選手としては、先日、ニュージャージー・ネッツのガード、デロン・ウィリアムスがトルコのベシクタシュと正式に契約。その際にウィリアムスは、ハワードが中国でプレーしたら世界的なスターになれるだろうとコメントした。マジックの2009年ファイナル進出に貢献したオールスター5回出場のハワードも、そのことについては異論はない様子だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000311-ism-spo
ラベル:
NBA
2011/06/24
キッドのシュート秘話。
若い頃「ジェイソン・キッドはジャンパー(ジャンプショット)がない」と言われ
頭文字のJをとってエイソン・キッドなんて呼ばれていたような覚えがあります。
今年のファイナル、彼は重要な場面で殆どスリーを決めていたと記憶する人は多いのではないでしょうか。
そんな彼がジャンパーを手に入れるまでののちょっとしたお話です。
引用:
【NBA】優勝を決めたジェイソン・キッドの3Pシュート秘話
新人王、4度のアシスト王、5度のオールNBAチーム選出――。プロ生活10年ですでに、数えたらキリがないほどの実績を残していたのだから、プライドがないはずはなかった。2004年、在籍していたニュージャージー・ネッツが臨時シューティングコーチとしてボブ・テイトを招聘したとき、ジェイソン・キッドは、すぐには彼の指導を受けなかった。しかしキッドにとって、プロ入りしてからずっとジャンプシュートだけが、唯一の弱点だった。
「歳を取れば徐々に動けなくなる。動けなくなってシュートが打てなかったら、誰も君のことをディフェンスしなくなるぞ」。テイトは最初、キッドにこう伝えた。それでもキッドがテイトに指導を仰ぐようになるには、時間がかかった。むしろ、最初にテイトのシューティングレッスンを受けた“キッド”は、ジェイソンではなく、彼の7歳の息子、TJ・キッドだった。父親についてよく練習場に訪れていたTJは、皮肉にも、父親よりも正しいシューティングフォームを身に付けていったという。
キッドが、テイトに指導を願い出たのは2005-06年シーズンの終盤になってからだった。理由は、チームメイトのネイナド・クリスティッチのシューティングが、メキメキと上達するのを目の当たりにしたからである。それからキッドは、毎日のように指導を受けた。シュートする際のひじやボールの位置、フォロースルーなど、長年染み付いた悪癖(あくへき)を、ひたすら矯正していった。
そして2008年2月、トレードで古巣であるダラス・マーベリックスに移籍すると、キッドは以前在籍していたときと別人のようなシュート力を手に入れていた。2006年まで約32%だった3ポイントシュートの確率は、それ以降の4シーズン、38%まで上昇。そして37歳の昨季には、キャリアハイの43%まで数字を伸ばした。
そのシュート力は、マーベリックスの優勝で幕を閉じた今年のプレイオフでも、特に試合終盤の重圧のかかる局面で威力を発揮した。しかも、ダーク・ノビツキーやジェイソン・テリーといったスコアラーがダブルチームを受けたときには、代わってキッドがビッグショットを沈めてみせたのである。オクラホマシティ・サンダーとのウェスタン・カンファレンス決勝第4戦や、マイアミ・ヒートとのファイナル第2戦で、マーベリックスは試合終盤での大逆転勝利を演じたが、その際、キッドはエースのノビツキーからパスを受け、重要な3ポイントシュートを決めている。
ファイナル第2戦後、キッドはこう語った。
「そうした重要な場面でノビツキーは僕を信じてくれた。彼がダブルチームされていても、僕がシュートを決められると信じてくれた場面が2度ほどあったんだ」
それまで、チームメイトにパスを出すことが主な仕事だった38歳のポイントガードに、今はボールが回ってくる。長年プレイしているのに、もしかすると、彼にとってそれはとてつもなく新鮮で、あるいは戸惑うようなことだったのかもしれない。無論、それは、いい意味での戸惑いであるが。
ネッツ時代、キッドは2002年と2003年にファイナルへ進出しているが、いずれも頂点を目前に敗れている。王者の称号は、プロ17年目にして初めてつかんだものだ。だが、キッドはこう語る。
「ひとつの優勝リングが、自分のキャリアすべてを定義するということはない。いいタイミングで、いい場所にいた僕は、幸運だったということ」
言葉にはしないが、そこへたどり着くまでの、少しずつ歩んでいく過程が大事だということだろう。そしてきっと、7年前のテイトとの出会いも、キッドの人生を変えた幸運のひとつだと言いたいに違いない。
引用終わり
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sptv-20110623-03/1.htm
頭文字のJをとってエイソン・キッドなんて呼ばれていたような覚えがあります。
今年のファイナル、彼は重要な場面で殆どスリーを決めていたと記憶する人は多いのではないでしょうか。
そんな彼がジャンパーを手に入れるまでののちょっとしたお話です。
引用:
【NBA】優勝を決めたジェイソン・キッドの3Pシュート秘話
新人王、4度のアシスト王、5度のオールNBAチーム選出――。プロ生活10年ですでに、数えたらキリがないほどの実績を残していたのだから、プライドがないはずはなかった。2004年、在籍していたニュージャージー・ネッツが臨時シューティングコーチとしてボブ・テイトを招聘したとき、ジェイソン・キッドは、すぐには彼の指導を受けなかった。しかしキッドにとって、プロ入りしてからずっとジャンプシュートだけが、唯一の弱点だった。
「歳を取れば徐々に動けなくなる。動けなくなってシュートが打てなかったら、誰も君のことをディフェンスしなくなるぞ」。テイトは最初、キッドにこう伝えた。それでもキッドがテイトに指導を仰ぐようになるには、時間がかかった。むしろ、最初にテイトのシューティングレッスンを受けた“キッド”は、ジェイソンではなく、彼の7歳の息子、TJ・キッドだった。父親についてよく練習場に訪れていたTJは、皮肉にも、父親よりも正しいシューティングフォームを身に付けていったという。
キッドが、テイトに指導を願い出たのは2005-06年シーズンの終盤になってからだった。理由は、チームメイトのネイナド・クリスティッチのシューティングが、メキメキと上達するのを目の当たりにしたからである。それからキッドは、毎日のように指導を受けた。シュートする際のひじやボールの位置、フォロースルーなど、長年染み付いた悪癖(あくへき)を、ひたすら矯正していった。
そして2008年2月、トレードで古巣であるダラス・マーベリックスに移籍すると、キッドは以前在籍していたときと別人のようなシュート力を手に入れていた。2006年まで約32%だった3ポイントシュートの確率は、それ以降の4シーズン、38%まで上昇。そして37歳の昨季には、キャリアハイの43%まで数字を伸ばした。
そのシュート力は、マーベリックスの優勝で幕を閉じた今年のプレイオフでも、特に試合終盤の重圧のかかる局面で威力を発揮した。しかも、ダーク・ノビツキーやジェイソン・テリーといったスコアラーがダブルチームを受けたときには、代わってキッドがビッグショットを沈めてみせたのである。オクラホマシティ・サンダーとのウェスタン・カンファレンス決勝第4戦や、マイアミ・ヒートとのファイナル第2戦で、マーベリックスは試合終盤での大逆転勝利を演じたが、その際、キッドはエースのノビツキーからパスを受け、重要な3ポイントシュートを決めている。
ファイナル第2戦後、キッドはこう語った。
「そうした重要な場面でノビツキーは僕を信じてくれた。彼がダブルチームされていても、僕がシュートを決められると信じてくれた場面が2度ほどあったんだ」
それまで、チームメイトにパスを出すことが主な仕事だった38歳のポイントガードに、今はボールが回ってくる。長年プレイしているのに、もしかすると、彼にとってそれはとてつもなく新鮮で、あるいは戸惑うようなことだったのかもしれない。無論、それは、いい意味での戸惑いであるが。
ネッツ時代、キッドは2002年と2003年にファイナルへ進出しているが、いずれも頂点を目前に敗れている。王者の称号は、プロ17年目にして初めてつかんだものだ。だが、キッドはこう語る。
「ひとつの優勝リングが、自分のキャリアすべてを定義するということはない。いいタイミングで、いい場所にいた僕は、幸運だったということ」
言葉にはしないが、そこへたどり着くまでの、少しずつ歩んでいく過程が大事だということだろう。そしてきっと、7年前のテイトとの出会いも、キッドの人生を変えた幸運のひとつだと言いたいに違いない。
引用終わり
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sptv-20110623-03/1.htm
ラベル:
NBA
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