2011/06/24

キッドのシュート秘話。

若い頃「ジェイソン・キッドはジャンパー(ジャンプショット)がない」と言われ
頭文字のJをとってエイソン・キッドなんて呼ばれていたような覚えがあります。
今年のファイナル、彼は重要な場面で殆どスリーを決めていたと記憶する人は多いのではないでしょうか。
そんな彼がジャンパーを手に入れるまでののちょっとしたお話です。


引用:
【NBA】優勝を決めたジェイソン・キッドの3Pシュート秘話

新人王、4度のアシスト王、5度のオールNBAチーム選出――。プロ生活10年ですでに、数えたらキリがないほどの実績を残していたのだから、プライドがないはずはなかった。2004年、在籍していたニュージャージー・ネッツが臨時シューティングコーチとしてボブ・テイトを招聘したとき、ジェイソン・キッドは、すぐには彼の指導を受けなかった。しかしキッドにとって、プロ入りしてからずっとジャンプシュートだけが、唯一の弱点だった。

「歳を取れば徐々に動けなくなる。動けなくなってシュートが打てなかったら、誰も君のことをディフェンスしなくなるぞ」。テイトは最初、キッドにこう伝えた。それでもキッドがテイトに指導を仰ぐようになるには、時間がかかった。むしろ、最初にテイトのシューティングレッスンを受けた“キッド”は、ジェイソンではなく、彼の7歳の息子、TJ・キッドだった。父親についてよく練習場に訪れていたTJは、皮肉にも、父親よりも正しいシューティングフォームを身に付けていったという。

 キッドが、テイトに指導を願い出たのは2005-06年シーズンの終盤になってからだった。理由は、チームメイトのネイナド・クリスティッチのシューティングが、メキメキと上達するのを目の当たりにしたからである。それからキッドは、毎日のように指導を受けた。シュートする際のひじやボールの位置、フォロースルーなど、長年染み付いた悪癖(あくへき)を、ひたすら矯正していった。

 そして2008年2月、トレードで古巣であるダラス・マーベリックスに移籍すると、キッドは以前在籍していたときと別人のようなシュート力を手に入れていた。2006年まで約32%だった3ポイントシュートの確率は、それ以降の4シーズン、38%まで上昇。そして37歳の昨季には、キャリアハイの43%まで数字を伸ばした。

そのシュート力は、マーベリックスの優勝で幕を閉じた今年のプレイオフでも、特に試合終盤の重圧のかかる局面で威力を発揮した。しかも、ダーク・ノビツキーやジェイソン・テリーといったスコアラーがダブルチームを受けたときには、代わってキッドがビッグショットを沈めてみせたのである。オクラホマシティ・サンダーとのウェスタン・カンファレンス決勝第4戦や、マイアミ・ヒートとのファイナル第2戦で、マーベリックスは試合終盤での大逆転勝利を演じたが、その際、キッドはエースのノビツキーからパスを受け、重要な3ポイントシュートを決めている。

 ファイナル第2戦後、キッドはこう語った。

「そうした重要な場面でノビツキーは僕を信じてくれた。彼がダブルチームされていても、僕がシュートを決められると信じてくれた場面が2度ほどあったんだ」

 それまで、チームメイトにパスを出すことが主な仕事だった38歳のポイントガードに、今はボールが回ってくる。長年プレイしているのに、もしかすると、彼にとってそれはとてつもなく新鮮で、あるいは戸惑うようなことだったのかもしれない。無論、それは、いい意味での戸惑いであるが。

 ネッツ時代、キッドは2002年と2003年にファイナルへ進出しているが、いずれも頂点を目前に敗れている。王者の称号は、プロ17年目にして初めてつかんだものだ。だが、キッドはこう語る。
「ひとつの優勝リングが、自分のキャリアすべてを定義するということはない。いいタイミングで、いい場所にいた僕は、幸運だったということ」

 言葉にはしないが、そこへたどり着くまでの、少しずつ歩んでいく過程が大事だということだろう。そしてきっと、7年前のテイトとの出会いも、キッドの人生を変えた幸運のひとつだと言いたいに違いない。

引用終わり

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sptv-20110623-03/1.htm